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神戸地方裁判所 昭和31年(ワ)747号 判決 1962年12月15日

判   決

原告

(但し、昭和三一年(ワ)第七四七号事件では被告)

太田健七

原告(右同)

太田茂三

右両名訴訟代理人弁護士

村井禄楼

被告

(但し、昭和三一年(ワ)第七四七号事件では原告)

株式会社伊藤商店

右代表者代表取締役

伊藤克三

被告

木村好文

右両名訴訟代理人弁護士

松下倉吉

右当事者間の昭和三一年(ワ)第六九一号損害賠償請求事件並びに同年(ワ)第七四七号損害賠償請求事件につき、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

(昭和三一年(ワ)第六九一号事件)

(一)  被告株式会社伊藤商店及び被告木村好文は各自原告太田健七に対し金九三一、〇〇〇円並びにこれに対する昭和二九年一〇月二八日以降右支払いずみに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

(二)  原告太田健七の右被告両名に対するその余の請求を棄却する。

(三)  原告太田茂三の右被告両名に対する請求を棄却する。

(昭和三一年(ワ)第七四七号事件)

(四)  原告(但し、前記昭和三一年(ワ)第六九一号事件の被告)株式会社伊藤商店の被告太田健七、同太田茂三(但し、いずれも前記同事件の原告)に対する請求を棄却する。

(訴訟費用)

(五)  訴訟費用はこれを二〇〇分し、その一四〇を被告株式会社伊藤商店の、その一〇を原告太田健七の、その一を原告太田茂三の、その余を被告木村好文の各負担とする。

(仮執行宣言)

(六) この判決は第一項に限り原告太田健七において被告らに対しそれぞれ金三〇〇、〇〇〇円の担保を供するときはその被告に対し仮りに執行することができる。

事実

原告太田健七、同太田茂三(但し、昭和三一年(ワ)第七四七号事件ではいずれも被告。以下単に原告と略称。)訴訟代理人は(一)昭和三一年(ワ)第六九一号事件につき、「被告株式会社伊藤商店(但し、昭和三一年(ワ)第七四七号事件では原告。以下単に被告と略称。)、被告木村好文は各自(1)原告太田健七に対し金一〇八一、〇〇〇円並びにこれに対する昭和二九年一〇月二八日以降右支払いずみに至るまで年五分の割合による金員、(2)原告太田茂三に対し金一〇、七〇〇円並びにこれに対する右同日以降右支払いずみに至るまで年五分の割合による金員の、各支払いをせよ。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、(二)昭和三一年(ワ)第七四七号事件につき、「被告株式会社伊藤商店の原告らに対する請求を棄却する。訴訟費用は同被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因及び答弁として、

(昭和三一年(ワ)第六九一号事件請求の原因)

第一(被告らの不法行為)

原告太田健七所有にかかる機付帆船神徳丸(総トン数六九・八二トン。船籍港和歌山県西牟婁郡江住村。船長は当時原告太田茂三が執職。以下、単に神徳丸という。)は昭和二九年一〇月二七日午後一〇時四〇分広島県豊田郡忠海町大久野島燈台より東微北(磁針方位による。)一三〇〇メートルの海上において被告木村好文の過失に基き被告株式会社伊藤商店所有にかかる機付帆船第三日之出丸(総トン数一七〇トン。船籍港福岡県若松市。船長は当時被告木村好文が執職。以下単に日之出丸という。)と衝突したものであるが、その事実上並びに法律上の関係は次のとおりである。なお、右両船はいずれも海商法上の船舶である。すなわち、

(一)  日之出丸は石炭二四〇トンを載せ、船首三・二〇メートル、船尾三・五〇メートルの喫水で、昭和二九年一〇月二六日午後一〇時三〇分福岡県戸畑を発し、高松に至る航行の途中天候の都合により広島県木ノ江に寄港し、翌二七日午後九時三〇分同地を発し、同一〇時九分左組島一二九メートル頂を北西微西四分三西一二〇〇メートルばかりに並航し、針路を徐々に右転して東微北四分三北に転し、時速約五海里二分一の全速力で折柄の順潮に乗じて進行した。船長被告木村好文は甲板長訴外藤井金次を船橋上で見張りに当らせ、自ら操舵していたのであるが、前記転針当初日之出丸は潮流の影響で漸次左方に寄せられ、航路筋の左側に進出し、同日午後一〇時三三分大久野島灯台を左舷正横二五〇メートルばかりに並航し、同一針路のまま依然航路筋の左側をたどり、船首を少し左右に振りながら続航中、船長被告木村好文はほぼ正船首から白紅緑三灯を表示して来航する神徳丸に気づかず、同時三八分頃両船間の距離七〜八〇〇メートルとなつてからはじめて神徳丸の白灯を認めたが、なお速かに航路筋の右側につかないでいたところ、同時四〇分少し前たまたま船首を左方に振つたとき、右舷船首間近かに迫つた相手船神徳丸が自船日之出丸の前路を横切ろうとする態勢にあるのに気づき、驚いて右舵一杯をとるとともに機関を全速力後退に命じたが、同時四〇分大久野灯台から東微北一三〇〇メートルばかりのところにおいて、ほぼ北東微東二分一東を向いた日之出丸の船首は神徳丸の船首左舷側に南方から二〜三点(点画法による。一点は一一度一五分。)の角度で衝突した。

(二)  神徳丸は空倉のまま船首〇・八〇メートル、船尾二〇〇メートルの喫水で、同月二七日午前四時和歌山を発し、徳山にいたる航行の途次、同日午後一〇時五分高根島灯台を南東微南五〇〇メートルばかりに通過し、大久野島灯台の灯火を針路目標にして航路筋の右側をたどり、時速約七海里の全速力で逆潮に抗して進行した。神徳丸では油船灯として検査を受けたものを自船の手で電気船灯に改装し、無検査のままで使用したのであるが、その船灯は油船灯の場合の光源の位置と大差ないところに電球を固定し、いずれも二〇ワツトの電球を用い、一二ボルトの蓄電池を電源とするものであつた。船長原告太田茂三は甲板長訴外初田宗一に操舵させ、自らは船橋上で運航指揮に当り、同時二二分幸崎町の灯火に並航した頃鮴埼灯台の灯火に向首してほぼ西南西の針路として続航中、同時三五分頃船長原告太田茂三はほぼ正船首一海里ばかりのところに日之出丸の白紅緑三灯を認め、その後紅灯または緑灯が時折隠滅しながら近寄つたが、やがて紅灯のみを表示するようになつたので、互いに左舷を相対して航過できるものと考えていたところ、同時四〇分少し前正船首よりわずか左舷にあたり、間近かのところで紅灯が隠滅して緑灯を表示したのに気づき、危険を感じ右舵一杯を命ずるとともに機関を全速力後退に命じたがその効なく船首が二点ばかり右転して前記のとおり衝突した。

(三)  右衝突の結果、日之出丸は船首材上部を折損し、これに接する舷しようを破損したのみであつたが、神徳丸は衝突個所の外板に大破口を生じて浸水し、衝突後間もなく水船となり、日之出丸に引かれて木ノ江港に入港した。

(四)  衝突当時の天候は晴で、北東の至軽風が吹き、潮候はほぼ高潮時で、衝突点附近では一時間約二分一海里の東流があつた。

(五)  以上のとおり、本件衝突は日之出丸船長被告木村好文が狭い水道を航行するにあたり、海上衝突予防法第二五条第一項の規定に反して航路筋の左側を進行した船長の職務上の過失によつて発生したものであるから、被告木村好文は民法第七〇九条所定の過失責任者として、被告株式会社伊藤商店は商法第六九〇条所定の船舶所有者の無過失責任者として、各自原告らが右衝突によつて蒙つた損害を賠償する義務がある。

第二 (原告らの蒙つた損害)

前記衝突により原告らが蒙つた損害は次のとおりである。すなわち、

(一)  原告太田健七の蒙つた損害

(1)  金一、〇五〇、〇〇〇円

衝突前の神徳丸船体、属具、機械の一般取引価額は金一五〇万円であるところ、本件衝突により大破したので残骸を金四五万円で他に売却したその差額。

(2)  金二三、〇〇〇円

燃料B重油一八〇〇リツトル流失。

(3)  金八、〇〇〇円

マシン油一八〇リツトル流失。

以上合計金一、〇八一、〇〇〇円

(二)  原告太田茂三の蒙つた損害

(1)  金三、〇〇〇円 白米三斗

(2)  金一、一〇〇円 精麦二斗

(3)  金一、〇〇〇円 調味料及び野菜

(4)  金  六〇〇円 薪炭

(5)  金五、〇〇〇円 布団一組

以上合計金一〇、七〇〇円

第三 (原告らの請求)

よつて、(一)原告太田健七は被告らに対し各自右損害金一〇八一、〇〇〇円並びにこれに対する不法行為の日の後である昭和二九年一〇月二八日以降右支払いずみに至るまで民事法定利率による年五分の割合による遅延損害金、(二)原告太田茂三は被告らに対し各自右損害金一〇、七〇〇円並びにこれに対する右同様の遅延損害金の各支払いを求めるため本訴(昭和三一年(ワ)第六九一号事件)に及んだ。

(昭和三一年(ワ)第七四七号事件の答弁)

(一)  被告株式会社伊藤商店の昭和三一年(ワ)第七四七号事件における主張事実のうち、前記原告らの主張事実に副う部分は認めるが、これに反する事実は否認する。本件衝突は前記のとおり被告木村好文の過失に因り発生したものであつて、原告太田茂三には何ら過失はなかつた。(従つて、被告らの昭和三一年(ワ)第六九一号事件に関する過失相殺の抗弁も否認する。)

(二)  かりに被告株式会社伊藤商店主張のとおりであるとしても、原告らは本訴において時効を援用する。すなわち、被告会社が本訴(昭和三一年(ワ)第七四七号事件)を提起した昭和三一年四月二一日は、既に本件衝突事故のあつた昭和二九年一〇月二七日から一年を経過しているから、被告会社の本件船舶衝突に因つて生じた債権は商法第七九八条所定の短期時効によつて消滅している。

(三)  被告会社の消滅時効中断の再抗弁のうち、原告らが昭和三〇年一〇月二五日被告会社より履行催告を受けたことは認める。しかし、右催告によると、被告会社は原告らに対し金一三万円の損害金の支払いを請求したのみであるから、その後の訴訟(昭和三一年(ワ)第七四七号事件)の請求金額のうち右金一三万円を控除した残額についてはいずれにしても時効中断の効力を生じていない(最高裁昭和三四年二月二〇日判決―集一三巻二号二〇九頁参照。)と述べ、

(立証)≪省略≫

被告ら訴訟代理人は、(一)昭和三一年(ワ)第六九一号事件につき「原告らの被告らに対する請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」との判決を求め、(二)昭和三一年(ワ)第七四七号事件につき、「原告らは連帯して被告株式会社伊藤商店に対し金一一七九、五八〇円及びこれに対する昭和三一年五月一四日以降右支払いずみに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その答弁及び請求の原因として、

(昭和三一年(ワ)第七四七号事件請求の原因)

第一  (原告らの不法行為)

被告株式会社所有にかかる日之出丸(詳細は原告ら主張のとおり但し、総トン数は一七〇、二八トンである。)は昭和二九年一〇月二七日午後一〇時四〇分頃大久野島灯台から南東微東二分一東距離約六〇〇メートルのところ、航路筋の中流より少しく南側において原告太田茂三の過失に基き原告太田健七所有にかかる神徳丸(詳細は原告ら主張のとおり。)と衝突したものであるが、その事実上並びに法律上の関係は次のとおりである。なお、右両船がいずれも海商法上の船舶であることは原告ら主張のとおりである。すなわち、

(一)  日之出丸は昭和二九年一〇月二六日午後一〇時三〇分省炭二四〇トンを積載の上福岡県戸畑市新川を出帆し、途中天候不良のため広島県木ノ江港に奇港し、翌二七日午後九時四〇分頃同港を発し、大祺島の八六メートル山頂を北七六度東一一〇〇メートル余に望むところで北東微北四分三北に転針し進行したが、大久野島灯台の紅光が白光にかわつた後、午後一〇時一四分頃左組島一二九メートル山頂を左舷正横約一二〇〇メートルに並航するところで針路を東微北四分三北に転針し、折柄の東流に乗じ一時間六海里の速力でその針路を保持して進行した。船長被告木村好文は甲板長訴外藤井金次を船橋上で見張りに従事させ、自らは操舵して運航の任にあたつていた。午後一〇時三八分大久野島灯台を左舷正横約四五〇メートルぐらいに並航した頃、船長被告木村好文は日之出丸の右舷船首約一点距離七〇〇メートルぐらいに微弱な白灯一個をかすかに認めたので先航路の船尾灯か漁船の灯火であろうと考え、そのまま進行すれば右舷に日之出丸の船丈かその一、五倍ぐらいの距離で無事航過できると思つていたところ、衝突直前右舷船首二点距離約一一五〇メートルぐらいに突然日之出丸の前路を左方に横切ろうとする神徳丸の船影を発見したので、危険を感じ急ぎ右舵一杯をとるとともに、機関を停止、ついで全速力後退にかけたが及ばず、午後一〇時四〇分頃大久野島灯台から南東微東二分一東距離約六〇〇メートルのところ、航路筋の中流より少しく南側において、日之出丸船首は神徳丸の左舷船首部に前方から約二点の角度をもつて衝突した。

(二)  右衝突の結果、日之出丸は船首部を大破したが応急措置により沈没を免れたので、神徳丸の状況を憂慮し、汽笛を吹鳴しながら暗夜の海上にこれを捜索したところ、約三〇分後同船は四十島南西方の海岸に水船となつて停船しているのを発見したのでその乗組員二名を同船に残したほか全員日之出丸に収容し神徳丸を曳航して翌二八日午前三時頃木ノ江港に入港した。

(三)  以上のとおり、本件衝突の原因は神徳丸船長原告太田茂三が衝突当時(1)船舶安全法等の法令を無視してほしいままに改造した船灯設備により、海上衝突予防法第一条第一、二項、同法第二条第一項第一号に違反して微弱な光力を有する檣灯一個のみを掲げ、同法第二条第一項第四、五号に違反して両舷灯を点灯しないまま航海したのみならず、(2)同法第二五条第一項に違反して航路筋の違法側を航行し、(3)且つ、日之出丸に至近距離に接近するに及んで強いてその前路を横切ろうとした点にあり、以上の事実は原告太田茂三の運航に関する船長の職務上の過失により本件衝突を惹起したものにほかならない。従つて、原告太田茂三は民法第七〇九条所定の過失責任者として、原告太田健七は商法第六九〇条所定の船舶所有者の無過失責任者として、被告株式会社伊藤商店が右衝突によつて蒙つた損害を賠償する義務がある。

第二 (被告株式会社伊藤商店の蒙つた損害)

前記衝突により被告会社の蒙つた損害は次のとおりである。すなわち、

(1)  金一三〇、〇〇〇円

木ノ江港における日之出丸応急修理費その他附随費用

(2)  金八四、五八〇円

海難審判並びに訴訟費用等

(3)  金九六五、〇〇〇円

船体(日之出丸は事故当時の船価金二〇〇万円)廃棄による損害金

以上合計一一七九、五八〇円

第三 (被告株式会社伊藤商店の請求)

よつて、被告会社は原告らに対し連帯して右損害金一一七九、五八〇円並びにこれに対する不法行為の日の後である昭和三一年五月一四日以降右支払いずみに至るまで民事法定利率による年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるため本訴(昭和三一年(ワ)第六九一号事件)に及んだ。

第四 (原告らの時効の抗弁に対する再抗弁等)

原告らは消滅時効の抗弁を主張しているけれども、右時効は中断されたものである。すなわち、被告会社は原告らに対し本件衝突事故のあつた昭和二九年一〇月二七日より一年を経過する前である同三〇年一〇月二五日到達の内容証明郵便をもつて損害金支払の履行を催告し、さらにそ六のカ月内である昭和三一年四月二一日に本訴(昭和三一年(ワ)第七四七号事件)を提起したのであるから、原告ら援用の消滅時効は中断された。

そして、前記催告にさいしては日之出丸の船首に蒙つた損傷の修理費相当損害金として金一三万円のみを請求したことは原告ら主張のとおりであるが、右金額は本件衝突によつて被告会社の蒙つたすべての損害金中の一部として、またはこれをもつて全部なりと明示して請求したものではなく、要するに損害賠償請求権行使の意思を表明し、損害額全部について時効を中断する趣旨でしたものである。

かりに右催告が債権の一部請求であるとしても、後に法定期間内に損害額全部につき訴を提起したのであるから全部につき時効中断の効力を生じたものである。すなわち、催告はそれ自体としては独立の中断事由でなく後に訴訟提起等の強力な中断方法に訴える予備的措置としての機能を有するのみであるから、一般に債権の内容を詳細に述べて請求する必要はなくどの債権か判る程度で足りる。一部請求についても中断の関係ではその範囲に限定されるべきではない。

(原告ら援用の判例は本件に適切でない。)

〔昭和三一年(ワ)第六九一号事件の答弁〕

(一)  原告らの昭和三一年(ワ)第六九一号事件における主張事実のうち、前記被告株式会社伊藤商店の主張事実と一致する部分は認めるが、これに反する事実は否認する。(従つて、被告木村好文も被告会社の前記主張事実を援用する。)本件衝突は前記のとおり原告太田茂三の過失に因り発生したものであつて、被告木村好文の過失に因るものではない。原告らの主張は本件衝突事故に関する高等海難審判庁昭和三一年第二審第二四号裁決書(甲第一号証)の認定事実に副つてなされたものと認められるが、右裁決は衝突地点、両船の衝突前の航過時刻、神徳丸の航海灯の点火状況、その他の点を誤認し、法律の適用を誤つた失当なものである。

また、原告らの損害額主張のうち、(一)原告太田健七の蒙つた損害の(1)金一〇五万円及び(二)原告太田茂三の蒙つた損害の(1)ないし(4)合計金五、七〇〇円については以下のとおり否認し、その余は不知である。すなわち、(一)右金一〇五万円は神徳丸船体等の損害金であるというが、神徳丸は昭和一一年九月進水したもので本件衝突時一八年の船令を有していたが未だ廃船するほど老朽化しておらず修繕不能の状態ではなかつた。(商法第七一八条第一項第二号参照。)しかるに原告太田健七はこれを修繕する経済力がなかつたため他に売却したものであつて、売却は、原告太田健七の自由であるが、時価と売却代金の差額を被告らに請求するのは、衝突と相当因果関係がないから失当である。(二)右金五、七〇〇円は食料(薪炭を含む)代金相当損害金であるというが、船員の食料は船長原告太田茂三の所有ではなく船員法第八〇条、同法施行規則第五〇条により船舶所有者が乗組員に支給すべきものである。本件では船長が船舶所有者から金員を受領の上食料を購入したのであるが、これをもつて食料は船長の所有に帰したということはできない。

(二) かりに被告木村好文に何らかの過失があつたとしても、被告らは原告らに対し過失相殺の抗弁を主張する。すなわち、本件衝突については神徳丸船長原告太田茂三にも過失があつたこと明らかである。原告太田茂三は神徳丸運航にさいし、(1)正規の船灯を掲揚せず、両舷灯の不点灯(海上衝突予防法第二条第一、四、五項。同法第一条第二項)、(2)相手船の行動不審の場合における注意喚起信号の不実行(同法第一二条、第二九条)、(3)切迫した危険を避けるための避譲措置緩漫(同法第二七条、第二九条)等の過失があつたものである。

(三) なお、原告ら主張の請求の原因は昭和三七年五月一〇日の第五回口頭弁論期日においてはじめて従前の主張に変えて陳述されたものであるが、本件はすでに準備手続を経ており、また右期日においては全立証も終り弁論終結の段階であつた。民事訴訟法第一三九条第二五五条の法意に照らすと、攻撃防禦方法は無制限な随時提出主義によつてなされるものでないことは明らかである。右の段階における原告らの主張は訴訟におけるフエアプレーの精神に反するものである、と述べ、

(立証)≪省略≫

理由

まず、被告らは昭和三一年(ワ)第六九一号事件につき、原告らが第五回口頭弁論期日(昭和三七年五月一〇日)においてはじめて従前の主張に変るあらたな請求の原因を陳述したと主張し、これが民事訴訟法第一三九条、第二五五条の法意に反する旨指摘するのであるが、かりに右主張が右法条違反であるとの趣旨または却下の申立をする趣旨であるとしても、前記原告らの陳述は従前の主張を整理したに過ぎないものであつて何ら新たな主張をなすものでないことは本件記録に徴し明らかであるから、いずれにしても被告らの右主張は理由のないものである。そこで、すすんで本案について検討する。

一  (本件衝突事故に関する双方の不法行為成立の有無)

原告太田健七所有運航にかかる機付帆船神徳丸(総トン数六九、八二トン。船籍港和歌山県西牟婁郡江住村。船長原告太田茂三。以下単に神徳丸という。)と被告株式会社伊藤商店所有運航にかかる機付帆船第三日之出丸(総トン数約一七〇トン。船籍港福岡県若松市。船長被告木村好文。以下単に日之出丸という。)とが昭和二九年一〇月二七日午後一〇時四〇分頃広島県豊田郡忠海町大久野島灯台附近(その正確な場所は暫らくおく。)の海上(三原瀬戸)において衝突したこと、右両船がいずれも海商法上の船舶であることはいずれも当事者間に争いがない。

そこで次に、右衝突前後における両船の運航状況、事故現場の状況等を検討して双方の過失の有無について案ずるに、(証拠―省略)を綜合すると次の事実が認められる。(中略)すなわち、

まず日之出丸の本件衝突までの航過状況等をみるに、日之出丸は昭和二九年一〇月二六日午後一〇時三〇分石炭二四〇トンを載せて福岡県戸畑を発し、高松に至る航行の途中天候の都合で広島県木ノ江港に寄港したこと。(以上の事実は当事者間にも争いはない。)日之出丸は翌二七日午後九時三〇分頃同港を発し、同一〇時九分頃左組島一二九メートル山頂を北西微西四分三西(磁針方位による。以下同じ。)約一二〇〇メートルばかりに並航し、針路を徐々に右転して東微北四分三北に転じ、時速約五海里二分一の速力で順潮に乗じて進行したこと。当時船長被告木村好文は甲板長訴外藤井金次を船橋上で見張りに当らせ、自らは操舵の任に当つていたのであるが、前記転針当初日之出丸は潮流の影響で漸次左方に寄せられ、いわゆる航路筋(海図上において、最も安全に航行し得る航路として図示されたものであるが、狭隘水道では多くの場合水道の中流の線と合致する。従つて、狭い水道をそれに沿つて進行する場合は航路筋より必ず相当の距離を保ち、その右側の方を航行するのが安全であるとされている。なお、過失の存否に関連して海上衝突予防法第二五条第一項参照。)の左側すなわち北側または本州側に進出し、同日午後一〇時三三分頃大久野島灯台を左舷正横約二五〇米ばかりに並航し、同一針路のまま依然航路筋の左側をたどり、船首を少し左右に振りながら続航したこと。この頃、船長被告木村好文はほぼ正船首から白紅緑三灯を表示して来航する神徳丸(白紅緑三灯については、過失の存否に関連して海上衝突予防法第二条第一項、第四項、第五項参照。)に気づかず、同時三八分頃両船間の距離が七〜八〇〇メートルとなつてからはじめて神徳丸の白灯を認めたが、なお速かに航路筋の右側につかないでいたところ、同時四〇分少し前右舷船首間近かに迫つた相手船神徳丸が自船日之出丸の前路を横切ろうとする態勢にあるのに気づき、驚いて右舵一杯をとるとともに機関を全速力後退に命じたこと。しかし、右非常措置も間に合わず、同時四〇分頃大久野島灯台から東微北約一三〇〇メートルばかりの航路筋北側のところにおいて、ほぼ北東微東二分一東を向いた日之出丸の船首は神徳丸の船首左舷側に前方から二〜三点(点画法による。)の角度で衝突したこと。

次に神徳丸の航過状況等をみるに、神徳丸は同月二七日午前四時頃空倉のままで和歌山を発し、徳山にいたる航行の途中、同日午後一〇時五分頃高根島灯台を南東微南五〇〇メートルばかりに通過し、爾後大久野島灯台の灯火を針路目標にして航路筋の右側をたどり、時速約七海里の速力で逆潮に抗して進行したこと。なお、当時神徳丸ではその灯火につき、油船灯として検査を受けていたにもかかわらず自船の手で電気船灯に改装し、無検査のままで使用したのであるが、その船灯は油船灯の場合の光源の位置と大差ない所定の位置に電球を固定し、檣燈(白)、右舷燈(緑)、左舷燈(紅)ともに二〇ワツトの電球を用い、いずれも一二ボルトの蓄電池を共通の電源とするものであつたこと。船長原告太田茂三は甲板長訴外初田宗一に操舵させ、自らは船橋上で運航指揮に当り、午後一〇時二二分頃幸崎町の灯火に並航した頃鮴埼灯台の灯火に向首してほぼ西南西の針路として続航したこと。そして、同時三五分頃船長原告太田茂三はほぼ正船首一海里ばかりのところに日之出丸の白紅緑三灯を認め、その後紅灯または緑灯が時折隠滅しながら近寄つたが、やがて紅灯のみを認めるようになつたので、当然互いに左舷を相対して航過できるものと考えていたところ、同時四〇分少し前正船首よりわずか左舷間近かのところで紅灯が隠滅して緑灯が表示されているのに気づき、危険を感じ右舵一杯を命ずるとともに機関を全速力後退に命じたが既に間に合わず船首が二点ばかり右転しただけで前記のとおり日之出丸と衝突したこと。

右衝突の結果、日之出丸は船首材上部を折損し、これに接する舷しようを破損したのであるが、他方神徳丸も衝突個所の外板に大破口を生じて侵水し、衝突後間もなく水船となり、日之出丸に引かれて木ノ江港に入港したこと。なお、衝突当時の天候は晴で北東の至軽風が吹き、潮候はほぼ高潮時で、衝突現場附近では時速約二分一海里の東流があつたこと。以上の事実を認めることができる。

被告らの主張によると、日之出丸が木ノ江港を出港したのは昭和二九年一〇月二七日午後九時四〇分であり、その航路は午後一〇時一四分頃左組島一二九メートル山頂を左舷正横一二〇〇メートルに並航するところで針路を東微北四分三北に転針し、爾後右針路を保持しながら、折柄の東流に乗じて時速六海里の速度で進行したものであり、従つて、本件衝突場所は大久野灯台から南東微東二分一東距離約六〇〇メートルのところ、すなわち航路筋の中流より少しく南側である旨、また、神徳丸の船灯については、日之出丸側では午後一〇時三八分頃船首約一点約七〇〇メートルに微弱な白灯一個をかすかに認めたけれども、紅、緑の舷灯はいずれもはじめから点灯されていなかつたため、先航船の船尾灯か漁船の灯火かと考えられた旨主張するものであり、なるほど(証拠―省略)によると、右被告らの主張に符合する部分のあることを窺い知ることができるのであるが、これらの各証拠は前段掲記の各証拠(殊にこれにより認められる神徳丸側の航過状況)に照らすと、にわかに措信することを得ず、(殊に書証中、被告木村好文の供述記載はことさら自己に有利に供述したと認められる部分があり―衝突時に気笛三短声を発したか否かの点その他について。―また訴外藤井金次の供述記載は甚だあいまいな部分がある。―甲第一一号証の同人の供述部分―。)他に前段認定事実を左右するに足る証拠はない。なお、乙第二号証(神戸地方海難審判庁昭和三〇年神審第一一九号裁決書)、及び甲第一四、第一七号証(海難審判調書)のうち、海難審判庁理事官が意見として陳述した部分で、以上の認定事実に反する認定を下した部分についても、前掲各証拠に照らしにわかに同調することができない。

さて、以上の事実によると、日之出丸船長被告木村好文は本件衝突現場のような狭い水道をこれに沿つて進行するにさいし、航路筋の左側を進行し、且つ、対航船神徳丸の白紅緑三灯を認めることなく、ようやく前方七〜八〇〇メートルに接近してはじめて僅かに白灯を認めたに過ぎなかつたこと明らかであるが、かかる場合、動力船の船長としては、殊に夜間航行にさいしては不測の事故を防ぐため航路筋の右側(進行方向に向かつて)を相当距離を保ちながら航行し、且つ、前方対航船の灯火の有無及びその状況を注視する等して、船舶衝突の危険を防ぐため万全の措置をとるべき職務上の注意義務があるにもかかわらず、被告木村好文は慢然これを怠つたため、前記認定のような衝突事故が発生したものというべきである。(前者の注意義務については海上衝突予防法第二五条第一項参照)

被告らは本件衝突事故は神徳丸船長原告太田茂三の過失によつて発生したものであるとして、原告らに過失責任を問い(但し、この点は被告株式会社伊藤商店だけの請求)、また原告らの請求に対しては過失相殺の仮定抗弁を主張するのであるが、以上の認定事実によると本件衝突に関し原告太田茂三に過失責任を問うべき事情は何ら認められない。なるほど神徳丸は検査を受けた正規の油船灯を無断で電気船灯に改装したことが認められ、この点は別途法令違反のかどが責められるべきであることはいうまでもないが船灯としての性能においては何ら支障がなかつたこと前判示のとおりであるから、このことをもつて直ちに本件衝突事故の帰責事由とすることはできない。またさらに、相手船の行動不審の場合における注意喚記信号の実行(海上衝突予防法第一二条、第二九条参照)または切迫した危険を避けるための避譲措置(同法第二七条、第二九条参照)を船長の職務上の注意義務であるとしても、本件においては既に認定したとおり、神徳丸船長原告太田茂三としては相手船日之出丸を行動不審と認めるべき事情もなく、また切迫した危険を認識すべき事情もなかつたものである(当然互いに左舷を相対して航過できるものと考えられるべき情況であつた。)原告太田茂三としては衝突直前に非常措置として右舵一杯を命じ全速力後退をはかつたのが職務上最善の措置であつたが、時既に遅かつたというべきである。

はたして以上のとおりであるとすれば、本件衝突事故は日之出丸船長被告木村好文の過失によつて発生したものであつて、神徳丸船長原告太田茂三には何ら過失が認められず、従つて、被告木村好文は民法第七〇九条所定の過失責任者として、被告株式会社伊藤商店は商法第六九〇条所定の船舶所有者の無過失責任者として、各自原告らが右衝突によつて蒙つた損害を賠償する義務があるのに対し、原告らは爾余の判断をするまでもなく何ら被告らに対し被告らの蒙つた損害を賠償する義務はないものといわなければならない。

二  (原告らが本件衝突によつて蒙つた損害)

よつて、次にすすんで原告らの蒙つた損害について検討する。

(一)  原告太田健七の蒙つた損害

(1)  (証拠―省略)を綜合すると、本件衝突当時における原告太田健七所有の神徳丸船体、属具、機械の価格は金一五〇万円を下廻らない額であつたと認めることができ、他に右認定事実を左右する証拠はない。ところで、(証拠―省略)によると、原告太田健七は本件衝突事故があつた後、神徳丸の破損状況が大であつたため、昭和二九年一一月九日訴外西原造船所こと西原政虎に売却したのであるが、その代金は金六〇万円を上廻らない額であつたことを認めることができ、右売却代金を金四五万円であるとする甲第二〇号証、同第二三号証の一部、原告太田茂三本人尋問の結果は、前記成立に争いない甲第五号証が売却後間もない昭和三〇年一月一〇日付原告太田茂三の供述記載であることに照らし、結局これを採用せず、他に以上の認定事実を左右する証拠はない。してみると、原告太田健七が本件衝突により神徳丸の船体、属具、機械を損傷し、その残骸を売却するのやむなきに至つたため蒙つた損害は差引金九〇万円と見積るのが相当である。なお、被告らはこの点神徳丸の修理費相当額なら格別衝突時の時価と損傷船の売却代金の差額を損害額とするのは不当であると主張しているけれども、証人望月理一の証言によると、右修繕費といえども金一〇〇万円を要するものと認められるから(右に反する証人増山栄の証言は採用しない。)、いずれにしても右主張は採用しない。(2)及び(3)前掲甲第二三号証に原告太田茂三本人尋問の結果の一部をあわせると、本件衝突事故発生当時神徳丸にあつた原告太田健七所有にかかる燃料B重油一八〇〇リツトル(時価金二三、〇〇〇円)及びマシン油一八〇リツトル(時価金八、〇〇〇円)は衝突の結果流失してしまつたことを認めることができ、他に右認定事実を左右する証拠はない。

してみると、原告太田健七の蒙つた損害は合計金九三一、〇〇〇円相当と認めるべきものである。

(二)  原告太田茂三の蒙つた損害

原告太田茂三本人尋問の結果によると、同原告主張の損害のうち、(1)白米三斗、(2)精麦二斗、(3)調味料及び野菜、(4)薪炭は、いずれも同原告が船舶所有者原告太田健七から金員を預つて同人に代つて購入したものであることを認めることができ、右に反する証拠は他になく、これによると右はすべて原告太田健七の所有に属していたものと認めるのが相当であり(なお、船員法第八〇条第一項、同法施行規則第五〇条によると、同法の適用ある船舶所有者は船員の食料を支給すべき旨定めている点参照)、次に(5)布団一組についても、前同本人尋問の結果により、これは船舶所有者原告太田健七の所有に属していたものと認められ、他にこれに反する証拠はない。

してみると、爾余の判断をするまでもなく、原告太田茂三の主張にかかる損害はすべてこれを認めることができないものである。

三  (結論)

以上のとおりであるから、本件ではまず(一)昭和三一年(ワ)第六九一号事件については、(イ)原告太田健七の被告らに対する請求は金九三一、〇〇〇円並びにこれに対する不法行為後であること明らかな昭和二九年一〇月二八日以降右支払いずみに至るまで民事法定利率による年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める範囲において理由があるが、その余の部分は失当であり、(ロ)原告太田茂三の被告らに対する請求はすべて失当であり、次に(二)昭和三一年(ワ)第七四七号事件については、被告株式会社伊藤商店の原告らに対する請求はいずれも失当であつて理由を欠くものといわなければならない。

よつて、訴訟費用につき民事訴訟法第九二条本文、第九三条第一項但書を、仮執行宣言につき同法第一九六条第一項を各適用して、主文のとおり判決する。

神戸地方裁判所第四民事部

裁判長裁判官 森 本   正

裁判官 畑   郁 夫

裁判官 杉 谷 義 文

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